長崎街道 彼杵から武雄へ その3
嬉野からの続きです
34号線から左へ曲がる少し前の所、細い通路が長崎街道です、入った先がまた判らなくなります
ダムの手前の右に入った所
先はイノシシ除けの柵で通行不能この先が気になりますが、裏に回り込んでも道は確認できませんでした
街道は水の底です、次はダムの下へ
ダムの先は進んで最初の橋が
古そうでした
ちょっと寄り道、上は鉄道、佐世保線が走ってます、いつも通るたび気になってましたが、今日は近くまで
すべてレンガ作りでした、アーチの部分は固くしまったレンガの様で色が違ってます
築造時期はどこにも書いて有りませんでした。海軍が佐世保に置かれた頃だと明治時代かもしれませんね
武雄宿の本の手前、鉄道線路を渡って直の所
右の建物はベンガラを塗ってあったようでした
ペンキじゃないと思いますが
このお宅は
種痘を初めてした方、教科書には載ってましたが、ここの方とは知りませんでした。
宿場町に良く在る、鍵の手の辻
武雄の公衆浴場の楼門、子供の頃よく父親に連れられて来てましたが、近ごろはご無沙汰です、基本温泉が嫌いなんだと思います、風呂に入った後はゆっくりしたいのに、帰るのが面倒です,泊まるほどの持ち合わせも有りませんし。
ちょっと、懐かしいので、昔の店もこんな感じでタイルが張ってありました、子供の頃見た造作です。
古そうな家
こちらが佐賀寄りのかぎの手の辻
良くわかりませんが看板が有ったので
何か由緒が有りそうですが
奥にある石塔が六地蔵の様でした
こんな感じでもう少し先まで走りましたが、ここまでとします、次の機会はここから始めます。